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ふせんの日記帳

日々の適当なあれをあれするブログ。ニッチな話題が多い。たまに絵をうpする可能性もある。取り上げている話題について一定程度の知識を有していないと理解できないことがあるので注意。

僕の発達障害の話

雑記 発達障害

こんにちは。何を隠そう、僕は発達障害です。とは言っても軽度ですが(多分)。

まだ診断をしていないので、実際にどの程度どの障害があるのかは判明していませんが、アスペルガー自閉症の傾向があるようです。この間行った精神科でそのようなことを言われました。今後、しっかりとした診断をして、そのあとカウンセリングやら投薬やらを開始するようです。

だいたいアスペとかそこらへんの情報はググればだいたい一般的な症例が出てくると思うので、ここでは実際に僕はどのような症状が出ているのかについて書いていこうかと思います。

 

さて、このように文字を打ち込んだりできているのを見てわかる通り、知能には問題がありません。ああ、僕が馬鹿なのはそれとは別問題です。

 

ではどんなものがあるのかというと、一般的には他人の気持ちがわからないとか冗談がわからないとからしいのですが、僕は冗談が通じないということはありません。まあ、人よりは通じないかもしれませんが、全部間に受けてしまうということはないです。ちゃんと、ああ今は冗談言ってるんだなっていうことがわかります。でも、他の人よりは冗談を「楽しむ」ことはできていないかも。

 

僕が特に困っているのはこだわりですかね。今までは、こだわりって言われてもそんなにないよなあと思っていたのですが、最近になって大きなこだわりを発見しました。それは「法の遵守」「自己矛盾をしないこと」「言行一致」「自分を大事にする」などです。ちなみに最後のやつは、自分には適用されません。つまり「みんな自分を大事にしてくれ」みたいな感じです。自分を大事にするのがこだわりだったらどんだけ生きやすいことでしょう。むしろ僕は自分を摩耗させるのを厭わないタイプです。

法の遵守はそのままです。ものすごく小さなことであればまあ許せることもありますが、ほとんどの場合誰もがやってしまう違反さえ許せません。赤信号とか絶対渡れないし、知り合いが渡るのも我慢なりません。

自己矛盾をしないというのは、説明が難しいのですが、ダブルスタンダードが許せないみたいな感じに近いかもしれないです。人のふり見て我がふり直せというか、他人にあれこれ言うくせに自分ではそれを普通にやらかしてるような人には不快感を隠せません。知り合いの場合、即嫌いリストに加入されます。

言行一致はそのまんまです。言行一致にこだわりがあると言うことは、言行不一致が許せないと言うこと。

自分を大事にするということは、知り合いが、まあ夜更かし程度だったらまあいいんですけど、健康を著しく害するような行為をしていると非常に苛立ちます。特に、今後それのせいでその人が自分の首を絞めていくであろうと感じることは。未成年飲酒や喫煙などがそれにあたりますね。体に良くないし、寿命が縮むと思うので、そういうのは本当に嫌です。

 

これらのこだわりなのですが、知り合いにのみ適用されます。見ず知らずの人だったら何をやってても大丈夫。だって一生そんな人と会ったりしないし。でも一度でも会話をしたことがあったりするとどうしてもだめかな。基本的に、「正しさ」みたいなものを求めていると言っていいでしょう。知り合いには清く正しくあってほしい、みたいな。

どうしてだろうと思うでしょうか。知り合いが清廉潔白でないと自分の威信に関わるとか? いいえ。知り合いのことがみんな好きだからつまらないことで逮捕されたり不健康になって欲しく無いからでしょうか? まあそれはかなりあるでしょう。でも全てではないと思っています。

半分くらいは理由のない不快感から来ています。もしかしたらそれも相手を思いやるが故なのかもしれませんが、なんだかそういう現場を目撃ないし伝聞すると非常にモヤモヤイライラする。心臓の上にコールタールのような黒くてどろっとした何かが溜まっているような、何か闇が深くて重くて蠢くものが胸の中で疼きます。非常にこれが気持ち悪い。心臓もひどく脈打つので、これが結構辛い。そしてなにより、それをやる知り合いを嫌いになりそうになってしまう。

 

普通の人ならば嫌いな部分もあるけどいいやつとか、そういう感覚があるのでしょうが、僕には基本的にありません。好きか嫌いかだけです。好きの中には段階を感じるのですが、一度嫌いになったら好きと共存はできません。一気に嫌いになります。

相反する感情を一人の人間に対して抱くことができないんですね。

でも、僕の生理的には無理でも理性ではまだ関係を続けたいと思っているので、結局ぐだぐだして最終的に双方傷ついて終わるという……、最悪のパターンをなんども経験しました。自分がクズなんじゃないかと何度も思いました。実際クズなんでしょうけど。

 

自分に対して厳しいかって言うとそうでもないんですよね。それがクズたる所以なのですが。でも自分にも厳しいつもりではあるんですよ。ただ僕がヘボすぎて厳しくしてもしょうがなくなってくる。だから、自分にできないようなことは他人に要求するなとは思うんです。非常に申し訳ない。

それに関しては今後カウンセリングとかする中で考え方をちょっとずつ変えたりなんかして対応できたらなぁと思います。まあ、カウンセリングに任せっきりではなくて自分でも色々努力をしなくてはいけないと思いますが……。

 

あと大きな特徴の一つとして過集中が挙げられると思うのですが、僕もよくなりますね。すごく波があります。集中してる時としてない時の差が激しいんです。

集中してるときは止めが入らない限りおそらく1日中やっていられると思うんですが(実際には色々な要因で制止が入るので本当のところはわかりませんが)、集中していないときは10分と経たずに他ごとを始めてしまったり、全然進まなかったり。

僕は目が悪くてメガネをかけているのですが、おそらく目が悪いのは過集中の時に瞬きをするのを忘れがちだからでしょうね。少なくとも回数はものすごく減ります。多分1分に1回とかになる。もっと少ないかも。

なので過集中してる時に気付いたときは多めに瞬きしてなんとかカバーしているのですが、すっかり忘れていて目がパサパサになっていた場合瞬きをするとまぶたがひっかかってうまくできないので辛いですね。そんなときは集中を切るのを覚悟で目を閉じて指でマッサージします。

さらにトイレも忘れているので、作業の後はいつもギリギリだったことに気づいてトイレに走ります。食事も余裕で抜きます(勝手に抜けます)し、監督者がいない一人暮らしでは即ぶっ倒れるでしょうね。

 

基本的には絵を描いている時か、調べ物をしている時に過集中が発生しているような気がします。すごい量の情報を一気に吸収する時なんかは過集中の出番ですね。1日でプログラミングについてノートにまとめたこともありました。でも随分と忘れてしまって、今では何もできません。

それに当時も結局GUIでの開発まではできない程度のレベルでした。まぁ1日でまとめたとは言っても基礎が限界ですね。それもC言語だったのでポインタなどがよくわからなかった僕は実際に何かすると言うことはできませんでした。

今思えば素直にVBとかやっておけば簡単なツールとか作ってもっと少しずつスキルアップできたんだろうなぁ。

 

絵を描いている時なんかは過集中を使わないと最後までモチベーションが保てないので、だいたい完成しないですね……、なので絵を少しずつ日をまたいで完成させると言うことをほとんどしたことがありません。部活の絵を描く時なんかは必然的に活動時間中だけの作業になるのでやっていましたが。

仕事にしようと思っているので、スケジュールを立てて絵を計画的に描くと言うスキルも今後必要になってくると思うので、ちょっとまずいなぁとは思っています。なんとかしないと……。

 

それと、子供の頃やったようなことを未だにやっているというのも特徴かもしれません。

例えば、道路の側溝の蓋を全部踏みながら移動するとか、横断歩道は白いところしか踏まないようにするとか、道路に割れ目があったらそこは踏んではならないとか、その他諸々。未だにこれらを無意識にやっているのが僕です。どう考えてもやばい人だ。

あとは細かいことが気になったりしますね。ペンの持ち方なんかがすごく気になります。人差し指はどこに置くか、親指はどこに置くか、ペンの角度はどうか、指はどの程度曲げるか、などなど、一番持ちやすい持ち方を探すのに余念がありません。だいたいの人は一回慣れたら持ち方をそこまで変えようと思わないと思うのですが、僕の場合はしょっちゅう気になってしまって色々変えています。でも正直疲れるので、本当はもう妥協したほうがいいんでしょうね。

 

あとは、子供の頃のキチガイエピソードなどを。

幼稚園児だった頃のことでした。

僕の幼稚園では昼食を食べる時に「いただきます」「どうぞ」をみんなで言ってから食べるんです。

その日僕はなんらかの理由で昼食に遅れました。多分だけどおもらしです。記憶が定かではないですが、どうせ僕のことだからおもらしか何かだと思います。

そして、当然挨拶はもう終わっているわけです。僕は席に着きました。そのときはスパゲッティだったことを覚えています。席は左端、窓側ではなくて入り口側でした。隣にいたのは男の子だったと思います。

そして僕は挨拶をしました、「いただきます」と。自分でいただきますを言って自分でどうぞを言うのはなんだかおかしい気がして、いいませんでした。

 

しかし僕は食べ始めませんでした。それどころか、「いただきます」を何度も何度も繰り返します。一体何があったのでしょうか?

 

僕にとって「いただきます」という言葉と「どうぞ」という言葉はセットだったのです。その二つが揃って初めて、食事を開始する。それが僕にとっての幼稚園の昼食というものでした。

しかし「どうぞ」が揃わない今、食事を開始することはできません。僕は狂ったようにいただきますを繰り返し、どうぞの声がかけられるのを待ちました。後半はもう投げやりというか、意地になって繰り返しました。先生も困っています。

先生はどうしてわかってくれないんだ! この僕の苦しみを! 食べられない苦痛を!

わかるはずもありません。だって「いただきます」を言ったら食べるというのが普通の人の感覚です。どうぞの声がかけられない限り食べられないなんていう感覚はないでしょう。だって挨拶に過ぎないわけで、「どうぞ」は別に許可を下す合図ではないのです。僕にとっては許可を下す合図だったわけですが。犬みたいな感じでしょうか。

 

しかし隣の少年はすごかった。僕が求めていることを察してくれたのか、どうぞを言ってくれたのです。僕は喜び勇んで食事を開始しました。あらかた他の人の食事が終了した頃でした。スパゲッティはすっかり冷めていました。

 

他のエピソードです。これは小学2年生のころ。先生が無表情な男性の先生だった頃です。

僕はしょっちゅうからかわれていました。もっとも、小学2年生の頃なんて序の口で、そのあともっとひどい目にあうことになるのですが。

そして結構ストレスが蓄積していました。しかし、僕はあるときある作品(なんだったかは覚えていません)でブチギレるキャラクターを見ました。それは「堪忍袋の緒が切れた」状態だということも知りました。

「なるほど、キレればいいんだ」と僕は思いました。ストレスを発散したければ、何かをされた時にキレればいい。そう思った僕は、次の日、キレられるポイントを探しました。

すると、とても些細なことではありますがカチンとくることをされました。本当にどうでもいいことで、普段だったらなんの気にもとめていないようなレベルのものです。しかしそのときの僕にとっては、ちょうどキレられる都合のいい出来事でした。

 

僕はキレました。どうキレたかというと、椅子を投げました。机を投げました。ありとあらゆるものを掴んでは投げ飛ばし、かと言って人に投げると怪我をさせてしまうし可哀想なので外すようにして投げました。ぐちゃぐちゃになった教室、突然の事態に困惑する人々。笑う僕。生徒に呼ばれ駆けつける先生。

その間僕はずっと「堪忍袋の緒が切れた」と脳内でつぶやき続けていました。激昂した感じではなく、ただ静かにつぶやいていました。

ひとしきり暴れまわったあと、当時の僕にもどうして自分がこんなに起こったのか理解できていませんでした。直後から自分にとってこの出来事は黒歴史と化し、人に尋ねられても忘れてしまったことにしました。あまりの怒りに記憶が飛んだことにしたのです。

 

しかし今になって思うとあれは、キャラクターがキレているところを見て、そこになぜか良さを見出し、キレるという状態を感じてみたかったからだと思います。基本的に穏やかな子供だったので、怒ってみたかったのでしょう。しかしその後僕にはしばらくキレ癖がついてしまいます。他人からの評価は「ヤバいやつ」で統一されていました。しばらく僕は爆弾を触るように接せられました。というか、実際僕は爆弾でした。

それが動機ですが、より詳細な動機があります。それは「堪忍袋の緒が切れた」という言葉を使ってみたかったから。

 

新しい単語を覚えると使ってみたい、ということはありますよね。子供の頃などは特にその傾向があると思います。新しく覚えた単語をなんとかして会話の中にねじ込もうとして失敗するなどもよくあるでしょう。……もしかしてこれも僕だけなのでしょうか?

僕はまさにその状態でした。でも僕はどんなに頑張ってもこの「堪忍袋の緒が切れた」という単語を使う場所が見つけられなかったのです。

仕方なく僕は「実際に自分の堪忍袋の緒を切ってみる」ことにしました。頭がおかしいですね。

そんなわけで僕は堪忍袋の緒を切ることに成功しましたし、脳内で呟くという形では実現しましたが、その後しばらく人が僕を恐れて会話しに来なかったのでこの単語を使うことはできませんでした。仕方がないので諦めました。この時諦めててよかった……。

 

と、こんな調子で、とにかく思考回路がちょっと変なんですよね。今はこれが変だと認識できているし、このようなことはほとんどなくなっています。まあゲームやったりするとまたキチってくるんですが、その程度。冷静な判断力があるときはまずミスりません。

おそらくですが、障害というのは年を経れば少しずつ薄れ、真人間に近づくような気がします。

 

ただ、アスペルガーに多く見られる、「行間が読めない」「小説で登場人物の気持ちが理解できない」「冗談を真に受ける」と言った症状はほとんどないです。冗談は冗談だとわかりますし、小説も読んでいて疑問に思うことはありません。空気が読めているかというと、あまりそれを自分で言うのはおかしい気がするし、読めているつもりになっているだけかもしれないので微妙ですが。

僕の場合、忘れ物だとか、ぼーっとしていると言ったADDの症状の方が強いので、どちらかというとADDなのかなぁと思っています。ちなみに、貧乏ゆすり以上の多動性はないのでADHDではないですね。おそらく。

ただ最近はちょっとソワソワするということがたまにあります。最近になってからなので、ストレスなどの他の要因によるものかもしれませんが。

 

冗談を真に受けないどころか自分から言いますし、慣れた相手になら面白いと評されることも多いです。本当です。インディアンうそつかない。ノリがいいから関西の血が入ってるんじゃないかと言われたことだってあるんですよ。

ちなみにブログが滑ってるのは仕様です。すべり芸なんです。本当です。

ただ慣れた相手限定ですね。初対面から面白い人間にはなれそうにありません。

 

アスペなのかADDなのかについては今後の診断でわかってくると思いますので大丈夫でしょう。12月の下旬まで待たないといけないんですけどね……。

 

ちなみによく「お前アスペかよ」って言われてるのは、本物のアスペルガーとは別物だと個人的には思っています。あれは単純に理解力のない人だと思う……、アスペルガーは空気が読めないだけで言葉の意味まで理解できないわけではないと思うし。

 

それとこれは持論なのですが、脳に何かしら障害でもない限り絵なんて描こうと思わないんじゃないかと思っています。健常者の絵描きさん方ごめんなさい!

頭を打った経験がある人が多いと言うのも、実のところ注意欠落による事故なんじゃないかと……。あくまでなんとなくそう思っているだけです。それに例外もあると思います。普通の人でも絵を描く人はいるでしょう。

 

なんだかまとまりのない文になってしまいましたが、ここら辺で終わりにしておこうと思います。思いついたことを思いついた時に書いたらこのような感じに……。

要約すると「僕は頭がおかしいです」。一言で終わっちゃうなぁ。